人の経験をデザインする

Henkakuの変革理論の探求、パート1: デザインで単純化に抗うとは

カナダの哲学者であるイアン・ハッキングは、代表作「確率の出現」において、確率や統計的真理といった概念がどのように発展してきたのか、その歴史的背景について検証しています。より広い視野で物事を捉えようとし、現代人の思い込みに課題を持ち、これらの概念は自然界の本来の側面や方針ではなく、言わば社会的・文化的な変化によって形成された構造であると指摘しています。例えばハッキングは、確率という概念が不確実性を定量化し管理したいという広い文化的欲求と結びつき19世紀ごろに生まれたこと、そしてそれが近代の官僚制国家の台頭とどのように結びついてきたかを示しています。これは、定量化と分析に依存する近代的思考へのシフトを強調しています。

21世紀になると、私たちはスマートウォッチのような健康状態をモニターするテクノロジーに慣れ親しみ、これらは生活の一部となりました。 これらのデバイスは、プライバシーに関する潜在的な懸念があるにもかかわらず、自発的にテクノロジーに自分自身を差し出し、測定・数値化されるという概念に、私たちが安住していることを示しています。この背景には、おそらく究極の真実の源としての数字への深い信頼があるのでしょう。

私たちがAIと統合された生活に慣れるにつれて、この流れはさらに加速し、広範囲な測定・分析プロセスを自動化する能力は間違いなく高まるでしょう。ここで興味深い疑問が浮かび上がります: 私たちは測定可能な効率性を追求するあまり、人の経験の定量化できない側面をないがしろにしていないでしょうか?私たちに必要なのは、定量的な指標と定性的で人間中心の価値のバランスです。結局のところ、アメリカの経済学者、W・エドワーズ・デミングがかつて述べたように、「最も重要なことは測定できない」ということです。そう思いませんか?

Digital Architecture Lab(DAL)は、開発という目に見える利益と、人の経験という定量化しにくい側面との調和のとれた融合を提唱しています。この理念は、DALのブランディング戦略の一環としてPentagram社によって制作された研究論文「Towards Henkaku」において、広範囲に示されています。この論文は、DALとして定義しようとしている「デジタルアーキテクチャ」の基礎を形成しています。


Henkaku(変革)とは、日本語で「根本的に変える、新しいものを作る」という意味です。一言で言えば、気候変動、経済危機、不平等、デジタルトランスフォーメーションなど、現代社会の複雑な課題に対する新しい変革の理論とパラダイムシフトを提示するものです。従来の枠組みはこれらの問題に対処するために不十分であり、DALのアプローチは、世界の体系がいかに複雑であるかを認識するものです。私たちは、現在の超個人主義的で資本主義的な価値観とは根本的に異なる、人間的で定性的なアプローチによるチェンジマネジメントを提唱しています。


変革の実践

変革は、富や利益といった従来の成功の尺度から、人の繁栄を優先させるというパラダイムシフトを目指しています。この転換は、下図に示される一連の価値観によって推進されます。

変革の理論の図式的説明(出典:Towards Henkaku)


しかし、この記事では変革理論のデザインへの適用に焦点を当て、その他全ての価値観ついては網羅しません。今回はこの中でも「単純化に抗う」という価値観に焦点を当てていきましょう。この価値観は、過度に単純化された解決策やアプローチからの脱却を提唱するもので、「Towards Henkaku」の次の文章でも言及されています。

「単純化に抗うとは、近代資本主義社会の傾向である定量化への衝動に抵抗することを意味します。これは産業革命と大企業の台頭からもたらされた、近代資本主義社会の傾向であり、全てを数えられるもの、つまり金銭価値可できるものと考えることであり、これまでの考え方は現実を1と0に還元し、簡単には単純化できないバリエーションやニュアンス、曖昧さを覆い隠してきました。対照的に、変革は意味の複雑さを歓迎し、現実の完全主義的な(しかし依然として認識可能な)視点を提供するアプローチを想定します。」



変革を実践的にデザインする

デザインは、この激変の時代をもたらす上で重要なツールです。デザインは私たちが受け入れたいと願う複雑さをナビゲートし、表現するための一連のグラフィックツールを提供します。

「産業革命の美学と倫理観の両方からの逸脱を本質的に伴う、単純化に抗うというテーマに基づいて、私たちは20世紀の極めて重要なバウハウス運動とその決定的な特徴に引き寄せられることに気づきます。変革は、単なる美学を超越した統一哲学を志向する点ではバウハウスと呼応しながらも、自らをバウハウスと対立するような位置に置いています。第一次世界大戦の影でドイツで生まれたバウハウスのデザインは、産業革命が説いたスケールの商品化から直接生まれたものでした。そのため、バウハウスの影響を受けたデザインは、合理主義、純粋な幾何学、標準化、ミニマリズムを特徴としています。バウハウスがその規則によって定義されるのであれば、変革はその代わりに、喜び、活力、元気、エネルギッシュ、温かさといった感情によって定義されるかもしれません。」


ここで、DALが単純化に抗うというテーマから導き出した具体的なデザインの原則について、いくつか紹介します。


1. 有機的形態を受け入れ、形と動きの相互作用、素材の重要性、職人技の価値を認める。

デジタルの時代において、私たちはデータにおける人間の要素を見落としがちです。変革は、データが単なる抽象的な概念ではなく、人間の心と手によって作られていることを強調し、重要視しています。データの作成者の手とバイアスは常に存在しているのです。



DALでは、各チームを「ハウス」と呼び、人と人とのつながりを大切にしています。各ハウスの特徴を表現するため、ソフトピクセルのグラフィックに手描きの屋根のデザインを取り入れました。また、チームメンバーから屋根のアイデアやデザインを募集し、コンテスト形式にすることで、ブランディングプロセスへ一緒に参加してもらえるような試みしました。

チーム初のリトリートでは、手描きのソフトピクセル・グラフィックを使い、唯一無二の背景パターンを制作しました。このデザインは、デジタル・グラフィックにありがちな鋭い印象を取り除き、不揃いで少し歪んだデザインが魅力的で、親しみやすく温かみのある雰囲気を醸し出しています。また、ウェルカムカードには参加者の名前を一人ずつ手書きし、一般的な大量生産にはない、心のこもったアプローチを選びました。これは、変革の理念と常に寄り添い、私たちの取組みにおいて、人間的なタッチや温もりを重視しています。



2. 明瞭さを保ちながら複雑さを受け入れる

ビジュアルデザインにおいて、これは、明瞭さを確保するための抽象化の必要性を失うことなく、多様性、ダイナミズム、人の経験の豊かさを表現することを意味します。しかし、この抽象化によって、対象のニュアンスや質感が覆い隠されてはなりません。
特に日本文化においてデザインは、シンプルさと複雑さの間に興味深い相互関係があります。禅の精神本質主義に影響されたミニマリズムへの傾倒が強い一方で、マキシマリズムの底流もあり、その特徴は、大胆な色彩、高揚感、そしてある種の混沌とも言えます。変革の核心は、この二面性を探求し、表現することにあるのです。

「ソフトピクセル」はDALのブランディング戦略の中心であり、複雑さと明快さの間の葛藤を受け入れるという私たちの取り組みをよく表しています。”アイデンティティの中心にあるカラフルなマークは、DALのミッションの中心である「分散化」と「集団行動」という一見相反する理念を表現しています。25個の平行四辺形で構成されたアイコンは、DALが「ソフトピクセル」と呼ぶように、動きや活動を連想させます。(ソフトピクセルの詳細は、こちらをご覧ください。)


先を見据えて:今後の方向性

2023年、DALは変革のデザイン原則の研究と実験に多くの時間を費やしました。2024年以降の私たちの目標は、変革の価値をDALのプロジェクトを通じて拡大していくことです。

原文にあるもうひとつの変革の価値は、分散化です。バウハウスの独善的なアプローチとは対照的に、私たちはより分散化されたモデルの開発を目指しています。これは、ボトムアップ、コミュニティエンゲージメント、共創といった要素を取り入れ、より幅広いユーザー層からの貢献を促す重要なデザインのテーマです。

ここから導き出される可能性のあるデザインの方向性には、以下のようなものがあります:


ヘッドレスブランド

現在のデザイン業界では、標準的なブランドのビジュアル・アイデンティティのマニュアルとしてトップダウン・アプローチによるブランディングが主流です。標準的なマニュアルでは、ブランドのビジュアル・アイデンティティを世に送り出すために何が正しく(何が正しくないか)について概説します。
対照的に、「ヘッドレスブランド 」は、ガイドラインのような一元化された真実の源を持ちません。代わりに、コミュニティによって展開、適応、リミックスが可能な、共有されたグラフィック語彙を特徴とします。ある程度の標準化は以前として必要かもしれませんが、「ヘッドレスブランド」は基本的にユーザーコミュニティによって管理され、長続きするのです。
このプロジェクトの野心的な性質を認識した上で、私たちはこのコンセプトをさらに探求することに前向きです。おそらく、ヘッドレスブランドのデザインガイドを作成することから始めるのが良いでしょう。柔軟性を維持しながら、ガイドラインを提供していくのです。


生成アイデンティティ

ヘッドレスブランドのコンセプトに基づいて、DALのソフトピクセルジェネレーターを活用することができます。このアプローチによって、私たちが体現しようとしている参加型且つ分散型の理念を反映した、ダイナミックで進化するブランド要素を創造することができます。

ソフトピクセルには無限の可能性があり、並べ替えることでイラスト、パターン、シンボル、タイポグラフィまで作ることができます。


DALでは、既存の枠を超えた変革の原則の可能性を広げることを目指し、探求を続ける1年になると予想しています。この拡大により、この原則はデザイン分野だけでなく、他の様々な分野にも統合されることになるでしょう。私たちの目標は、進歩についての会話に従来とは異なる物語を吹き込むことによってパラダイムシフトを培い、それによって会話を豊かにし、よりバランスのとれた持続可能な未来へと導くことです。



Joseph Park is the Content Lead at DAL (joseph@dalab.xyz)
Soryung Seo is the Brand Designer at DAL (Soryung@dalab.xyz)Illustration: Soryung Seo
Edits: Janine Liberty






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